でもmixiからの転載(^ωT)

よくできた打ち込みに対してよく「生っぽい」と評価するのを聞くけれど
それでは生っぽさってなんだろう。
最近(特に今年に入ってから)は生っぽいものを作ろうとは考えなくなり、
代わりに奏者の存在を強く意識するようになった。
何を打ち込むにしても
「どう打ち込んだらかっこいい音が出るか」ではなく
「この曲のこの場面においてこのパートの奏者はどんな気持ちなのか。
自分が奏者であれば曲の流れから何を感じ、どうアプローチしていくだろうか。」
ということしか考えていない。
一言で言えば自分の中での打ち込みの定義が
「奏者の演奏の模倣」から「奏者の呼吸の模倣」へと変わった感じだ。
DTMはどんな無茶なことでもやってのけるから
かっこいい音を求めるのはたやすい。
でもPCに無茶をさせて吐き出させた音は
時に奏者の存在を無視した「空気読めない音」になりがちである。